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灌仏会大摂心に参加して (8) K.E さん

 随息観で重要な点は、無理のない正しい姿勢で足を組み、ただ呼吸に留意する、呼吸を見つめ続けることです。
 そして、思いを放つ。さまざまな思いに引き回されない。
 目に映るものにも、耳に聞こえる音にも、鼻に匂う香りにも、心に浮かぶ思念にも、なるがままに、それらの一切のことを、相手にせず、邪魔にせずに坐ることです。

 摂心も三日目以降、半ばに入り定力がついてくると、あまり坐を立つ必要がなくなるので、外に出ることもほとんどなくなりました。
 その頃になってくると、日常でも、疲れている時など顕在意識の活動が抑えられているときには、誰にでもままあるものですが、様々なイメージが鮮明に見えたり、物音が何か人の声のように感じられたりといったことが起こりやすくなります。坐禪に習熟してくる程、よりはっきりとした形で出てくるようになります。
 
 そうしたものが出てくることは探求の過程において必ず通過するものであり、必要なことなのですが、それにとらわれると探求の妨げになり、魔境と呼ばれます。
 そういったものが坐禪の中で意識化されること自体が、自分というものを構成している、様々な想念を手放している過程であると言えると思います。
 ですので、何が見えても、何が聞こえても、何が起こっても、相手にせず、邪魔にせず、ただ呼吸を意識して坐るのみです。
 そうしたものは夢と同じようなものです。夢から覚めてしまえば、座布団から立ってしまえば、それまでのものです。
 
 そして、その日坐禪の中で感じたことを独参の際に老師に話します。
 そうすると、不思議な程次の日の坐禅では同じものを感じたりはしなくなります。意識の中に深くしまいこんだものを、自分という括りから手放してしまう、そういったことが起きるのだと思います。
 ですので、独参の場でそうしたことを話すことは、大変重要なことです。探求が、正しく滞ることなく進んでいくかは、そこにかかっているように思います。

                                          <つづく>


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Author:風轍
「朽木學道舎ー風と森の学校」は、自己と宇宙の探求の場ーほんらいすべての人の心に内在している叡知に目覚め、根源的な自由と平和を生きようとする、あらゆる人びとのために開かれた、小さな茅葺きの学校です。

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