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灌仏会大摂心に参加して (11) K.E さん

 独参の場でのやりとりは、参禪者一人一人に即したものであり、人によって全く違った指導の方法を取り得るために、独参の室内での話は、自分と他人の独参を比較して坐禪の邪魔にならないように、決して人に話しても、聞いてもいけないことになっていますが、独参の雰囲気については、紹介しても構わないとのことでしたので、ここで少し述べさせていただきます。
 
 老師の前で礼拝を済ませた後、姿勢と呼吸を整え、自分の坐禅の方法、随息観であれば、随息観(数息観に参じていれば、数息観)に参じております、といいます。
 
 独参の場は単なる言葉のやりとりの場ではありません。そこで伝わるのはむしろ言葉ではないものです。
 
 礼拝を済ませ、姿勢と呼吸を整え、目を上げ老師の目を見た途端、空気の密度が変わっていくのを感じます。その空気の密度が、自分の意識に浸透していき、自分の中から言葉が閉め出されていくのを感じます。
 
 独参に向かうにあたって、今日の坐禪で感じたこと、疑問に思ったことを考えていくのですが、坐禪によって定が深まっていると、口を開いてもその空気の密度の中に、言葉が音になる前に消えてしまうように感じます。頭に言葉があっても、なかなか言葉を出すことが出来ません。非常に時間がかかることがあります。
 その空気の密度の前に、言葉、そして言葉を基にした言語認識、思考というものがあまりに表層であり、限界があるかを感じます。かなりの困難を感じながら、自分の坐禪についていくつかのことを述べます。

 そのことについて、老師からいくつかの指摘と話があります。
 独参は短く終わる時もあれば、長く何も話さないままの時もあります。坐禪が深まってくるほど、その沈黙がいかなるものであるか、伝わってくるものであるように思います。


                                               <つづく>


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Author:風轍
「朽木學道舎ー風と森の学校」は、自己と宇宙の探求の場ーほんらいすべての人の心に内在している叡知に目覚め、根源的な自由と平和を生きようとする、あらゆる人びとのために開かれた、小さな茅葺きの学校です。

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